村上春樹がノーベル賞を取れないのは当たり前!

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正直ホッとした。

今回のノーベル文学賞の発表。

村上春樹でなくてよかった。

俺は、絶対あいつの受賞はないと思っている。

数ヶ月前、7年ぶりの最新作が異例の初版50万部というニュースが飛び込んできたが、売れてんのかどうかわからん。

 

ハルキストはメジャーなのか、マイナーなのか?

『騎士団長殺し』

これが最新作の書名だが、これが異例の初版50万部という記事をネットで読んだとき、記事の下方にある世間様の反応を見て驚いた。

大いに否定的な反応が圧倒的

 

これが世間の反応なんだな。

どうした! ハルキストたちよ!

「わあ! とうとう春樹さんが7年ぶりの最新作、楽しみだわ!」

なんて書いている人はひとりもいない。

書きたくてもこの雰囲気では書けなかったのか?

約一割が抵抗しているのみ!

ハルキスト

マスコミの造語だろうが、この方々はメジャーなのかマイナーなのかよくわからん。

以前アマゾンで村上春樹作品の書評を読んだが、ほとんどが酷評。

ただし、そのレビューの数はすごい!

反応が多い!

ハルキストというのは、酷評する人も含めてハルキストなんだ!

 

俺は村上春樹が嫌い!

これだけの作家にも拘わらず、世間の反応が冷たいのはなぜなのか。

俺は何度も言うが、こいつが大嫌い。

しかし、世間もこんなに嫌いだったことに驚いた。

 

とすると不思議だ。

こんなに酷評される作家がどうして売れるのか?

なぜノーベル文学賞の候補なのか?

ひとつには早稲田大学という学閥が後ろ盾になっている。

早稲田出身がよいしょするわけだ。

しかし、早稲田とはなんの関係もない一般人や、俺みたいな明治大学出身は「どこがいいの?」と思ってしまう。

海外で有名になったのもなんとかという教授だったか文学者が絶賛したからだよな。

 

そうそう、「この写真気になる」という投稿がいくつかあったが、その写真はこれ。

ビジュアル悪すぎ!

 

村上春樹がノーベル賞を取れない理由

村上春樹のデビュー作の『風の歌を聴け』は衝撃的だった。

ただし、ハードボイルドの文体をマネていた。

レイモンド・チャンドラーにそっくりだ。

『パン屋再襲撃』『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』で独特の文体でハルキワールドを展開していく。

このあたりまでは、実は俺も間違いなくハルキストだった。

しかし、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を途中で挫折。原因は、村上春樹の顔写真を見たことがきっかけだった。

ハルキワールドは『僕』という一人称で物語が展開していく。すると、写真で見た村上春樹と小説の中の『僕』が重なって見えてくる。こうなるともう、村上春樹の小説は読めなくなる。

この情けない写真。

顔を出さなきゃいいのに。

 

『アンダーグラウンド』

村上春樹が1997年に発表したノンフィクション。

内容は、地下鉄サリン事件の被害に遭った人々のインタビュー。

ハルキストでさえなかなか読む気になれなかったという本だ。

その理由は明らかで、小説ではないからだろう。

この本にハルキワールドはない。

インタビューだから。

地下鉄サリン事件の悲惨さが伝わってくる傑作だというヤツもいるが、なぜ村上春樹がこれを書く必要があったのか。

ハルキストもブログを読むと、ハルキストでさえ「それはわからない。書く理由は伝わらなかった」と言っている。

『ノルウェーの森』が空前の大ヒット。海外でも翻訳された。

村上春樹は世界でもっとも有名な日本人作家となった。

このとき、村上春樹の脳裏にはノーベル文学賞の文字がテロップになって流れたはず。

その後に書いた『アンダーグラウンド』。

世界を震撼させたテロをテーマにすることで、一気に名前を世界に売り、ノーベル文学賞への階段を築こうとしたのだ。

世界のムラカミハルキとなり、ノーベル文学賞を意識した途端、ハルキワールドは消滅してしまった。

【僕はそのとき、1056本目のタバコに火を付けた。】とか、【僕たちは、付き合ってから89回目になる○○を楽しんだ。】とか、ハルキワールドの骨格をなすセンテンスが、俺は大好きだった(若かった当時)。

レイモンド・チャンドラーのマネとはいえ、ハードボイルドの手法を日本文学に持ち込んだ発想はすばらしいし、功績といえる。

このスタイルを貫けばよかった。

軽口をたたく『僕』が主人公の小説だったら、俺もまだ、ハルキストのままだったかもしれん。

ただし、村上春樹の顔を見なかったら。

 

『アンダーグラウンド』はノンフィクションだ。

あまりにも深刻な問題をテーマにしている。

軽口をたたく主人公を描いていた作家が、突如シリアスな社会問題をテーマとする。

これは大いなる違和感。

ノーベル文学賞の選考委員は、この違和感をもったのだろうと思う。

つまり、作品の一貫性のなさと、そこに見える作家の欲。

芥川賞・直木賞という日本の二大文学賞を受賞していない村上春樹にとって、喉から両手が出るほど欲しいもの、それがノーベル文学賞だった。

 

まとめ

2016年のノーベル文学賞は、奇しくもアーティストのボブディラン。

作家ではなく歌手だった。

当然歌詞における文学性が評価されたわけだが、独自の詩的世界を構築し続けた業績が評価されたのだ思う。

村上春樹は、作家としてのスタイルが定まっておらず、決してマジョリティではない。

これが、ノーベル文学賞を受賞できない理由だ。

物欲しいそうな目でノーベル賞を見つめていたら、選考委員も嫌気がさすってもんだ。

 

何でもそうだが生き方の問題だ。

村上春樹は作家としてというより、人間的に尊敬できない。

海外で演説なんかしないで、日本でやれ!

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