矢沢永吉の家を俺は作ったっ!

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改めて言っておくが、俺の考えや意見は、これまでの経験を元にしている。

まあ、これは当たり前。

だから、どんな経験をしているかで、人間の価値は形成されていく。

 

孟母三遷の教え

これを知ったのは中学生のとき。

知らんヤツのために引用。

市場の近くに住むと、孟子は商人の真似ばかりして遊ぶので、学校の近くに引っ越した。 すると孟子は礼儀作法の真似ごとをするようになり、孟子の母は「この地こそ子供にふさわしい」と言って、その地に落ち着いたという故事から。 「孟母三遷」「孟母の三遷」「三遷の教え」「孟母の三居」「孟母の教え」とも。

もちろん、俺のママは孟母三遷はしなかったが、俺自身がこれをすることにした。

つまり、地方都市にいるよりも、東京に行った方が自分の為になる、と考えた。

環境が俺を作るということを、いち早く理解できたのが俺の利口なところだ。

地方都市より東京。

そこで俺はたくさんのことを学んだ。

 

東京ではバイト三昧

まあ、昔の学生は当たり前。

学問よりバイト優先。

俺の場合、実は夜学だった。

大学は二部だ。

俺はアタマがいいから、早稲田でも明治でも一部で合格したが、俺んちはビンボーだったから、昼働ける夜学を選択。

昼働いて夜学校という大学生活を送った。

 

世間は、夜学なんかあ!

ってバカにするよな。

 

入社した会社の上司に、「そのことは言わない方がいい。」と言ったヤツがいたが、俺は恥ずかしいとは思っていない。

なぜ、大学が夜学っていうだけで負い目を感じる必要があるのか?

確かに、そういった世間の目はある。

だが、俺は自分の選択に間違いはなかったという自負がある。

後悔するような人生は歩いてはいない。

 

左官屋での経験

ちょっと話がズレた。

とにかく俺は夜学に通い、いろんなバイトをした。

そして落ち着いたのが、左官屋という、セメントをこね壁に塗り付けるという仕事。

その仕事先が、けっこうな有名人。

 

森繁久彌。

森進一。

大原麗子。

 

若い人は、あまり知らないだろう。

 

大原麗子の隣は黒沢年男の家だった。

森繁と森の家は少し寄っただけだったが、大原麗子の家は間取りまで全部知っている。

亡くなったのは自宅だったが、寝室で亡くなった情景を俺は想像できた。

大原麗子は俺たち職人に素顔は見せなかった。

常にサングラス。

俺も1m近くまで接近したことはあるが、かなり緊張した。

きれいな女優だったよね。

故人だから、写真アップはどうかと思ったが、知らんヤツのために。

 

目を閉じると家の様子が脳裏に浮かぶ。

本宅が完成してから数年後、庭に読書室を作るとかで、もう一度工事で入ったことがある。

森進一と別れてから母親と暮らしていた。

お手伝いさんもいた。

広い、大きな家だった。

 

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矢沢永吉の家を作る

今思えば、何という経験をしたんだ、俺は!

と思っている。

 

いくら孟母三遷の教えで、東京に来たと言っても、なかなかできる経験ではない。

俺がバイトで入った左官屋は、望月左官工業という。

東京田無市。

今はもうない。

社長ともう連絡はとれないが、この望月左官工業が取引をしていた創美工房という会社が、芸能人とのつながりがあったのだ。

 

実は俺、森進一と電話で会話をしたことがある。

事務所に電話がかかってきたのだ。

「モッちゃん、いるかな?」と森進一が言った。

モッちゃんとは、望月社長のことだ。

俺はそのときそれが誰だかわからない。

どこかで聞いた声だとは思った。

 

その数年後、世田谷区広尾の現場に行くことになる。

矢沢永吉邸だ。

 

世間では、本名がどうのこうのと言われているが、俺は現場にいたから、建築主ということで本名を知っている。

だが、言うべきではないと思っている。

永ちゃんは永ちゃんだ!

 

隣は確か萬田久子宅じゃなかったかな?

 

数ヶ月、俺は矢沢永吉邸の建築に携わった。

それほどファンではなかったから大した緊張はなかったが、音楽界の重鎮だから妙な誇りはあった。

これは自慢なると、そのときから思っていた。

 

間取りはよく覚えている。

だが、ここでは言わん方がいいだろう。

矢沢さんには迷惑。

いつか、言う時が来るかもしれない。

 

俺は、矢沢邸建築のとき、セメントをこね、壁に塗った人間だ。

それだけで十分。

 

見る目が違うというハナシ

今は地方都市でのんびり暮らす俺だが、東京での経験は自慢できることばかり。

例えば、渋谷の109を造るときも俺は関わった。

突貫工事で、夜の十二時まで働いた。

夜食はマクドのフィッシュバーガー。

こんなに懸命に働いてんの、フィッシュかよ!

望月社長に文句を言いたいが…。

今どうしていることやら…。

 

実は俺、東京には七年いた。

この七年は、俺にとってダイヤモンドより輝いている。

そして、この経験で培ったのは、

ホンモノを見極める能力。

 

このブログで、何様だという口調でモノを言う俺だが、矢沢永吉邸を造った俺だ。

 

少しぐらい、態度がでかくてもいいんじゃね?

俺は、ホンモノを知っているっ!

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